張板の夕日となりし蜻蛉かな 澤田はぎ女
「張板」は、洗って糊づけした布を張って乾かす板。それに夕日が当たっている。蜻蛉が来てそこに止まったのだろうか。夕日が当たっている、蜻蛉が止まっている、そんな説明を一切省いて、一気に「蜻蛉かな」まで詠み下す。俳句はまさにスピードである。(m)「季語 蜻蛉(秋)」
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一句を読み解く218
この俳句には大きな余白がある。その余白に作者の思いを垣間見ることができるから俳句はおもしろい。「親子でもなく」という描写があるから、ぶらんこの二人は、親子くらいは年が離れているということになる、五歳と三十歳くらいかもしれないし、三十歳と六十歳くらいかもしれないが、年齢はさして重要ではない。重要なのは「親子でもなく」という否定の裏に見え隠れする「まんざら他人とも思えない」という情感である。なんとなく気になる隣りのひと、これがこの句の要といってもいいであろう。見えないものを見せる力、語らないものを語らせる力、これが俳句の醍醐味ではなかろうか。(m)「季語-ぶらんこ(春)