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カテゴリーアーカイブ: エッセイ

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大寒

大呂俳句会 投稿日:2012年2月4日 作成者: dvx223272012年2月4日

 この冬一番の寒波が日本列島に居座っている。太平洋側に高気圧の強い壁があって、寒波が流れて行かないらしい。七八年前、海水温上昇による暖冬が数年続いたときは、CO2よる地球環境の悪化を心配したものだが、寒すぎる冬は冬でわたしたちを憂鬱にする。
 新潟市の積雪は現在二十五センチくらい、長野県と新潟県の県境の野沢温泉あたりでは積雪が二メートルを越えているというから、二十五センチなどは可愛いくらいのものでしかないのだろうが、それでも人々は除雪であたふたし、道路ではスリップ事故が多発している。
 雪が降れば家の中に閉じこもる。俳句ではこれを「冬籠(ふゆごもり)」という。 地震でも台風でも雪でも、人間は所詮自然にはかなわない。自然をつかさどる神々が猛威をふるっているうちは閉じこもるのが一番。「北窓を塞ぎ」「目貼り」して猫と一緒に炬燵にうずくまる。

  住みつかぬ旅のこゝろや置火燵  芭蕉「勧進牒」

 春が来れば旅に出ようとうつらうつら考えながら。(砧)

水仙

大呂俳句会 投稿日:2012年2月4日 作成者: dvx223272012年2月4日

先日の句会の席題に「水仙」があった。
ぼんやりと越前岬を思い浮かべるも、私の頭の中では、追い詰められた犯人が犯行を自供している。また水仙は、晩春の山菜取りの時分に土手の上にわらわらと群れている物としか認識が無い。これでは、水仙をノビルと称して食べさせた殺人事件のストーリーが完成してしまう。いけない、いけない。水仙・・・水仙・・・。
覗きこめるような湖も無く、またうっとりするほどの容姿ではない。頭を抱えていたところ「冬の水仙は、とてもよい香りなのよ」と、教えていただいた。
どんな香りなのだろう?
次の日、水仙を買った。親指の爪くらいの花が七輪ばかり。甘さが濃く、ほんのちょっと鼻の奥がツンとした。確かに「家中に漂う香り」ではなかった。反省、反省。
水仙の香りは、そこはかとなく玄関をふわりふわりと浮かんでいるようだった。(ばんび)

鏡開き

大呂俳句会 投稿日:2012年2月4日 作成者: dvx223272012年2月4日

 遠い記憶の中に学校から戻ると、あられを炒った時の香ばしい匂いとお餅の焦げる匂いとがある。三学期も始まって寒く、つまらない日常が戻った頃の、少し淋しい思いに結びつく。
 鏡開きは、お正月に仏壇や神棚にあげたお供えを下げてきて皆でいただく。その頃のお供えは表面はからからに乾き、ひび割れて固く、およそ食べ物とは思えない代物になっていた。母はそれを根気よく割り、大小のお餅の塊にしていった。大きなものは少し焼目をつけてそのままお汁粉の鍋に、小さなかけらは、油で揚げたり、フライパンで炒って醤油をさし即席の霰にしてくれた。このお供えを崩して作った霰は、どのように炒っても必ず芯が残りいつも奥の歯に挟まって子ども心にも不快だった。
 今は真空パックのお供えや、お供えの形をしたプラスチックの容器に切り餅を入れたりしたものがはやっているが、形だけの罪滅ぼしのような代物だ。お降りという以上、我われ人間は文句を言えないはずだか、どうも大人も子供も贅沢で我がままになってしまったような気がする。(立)

雑煮

大呂俳句会 投稿日:2012年2月4日 作成者: dvx223272012年2月4日

 多くの郷土食がすたれてゆく中で、今もってお雑煮ほどその地方の特色を保っているのは珍しいといえるのではないだろうか。文字面をみると「ざつに」である。これは「年夜」のエッセイでもふれたが、「年神」さまにお供えした様々の食べ物のお降りを取り混ぜて煮こみ、皆でいただく事から来ている。
 南北に長い日本では、北と南では採れる産物もおのずと違ってくる。それゆえ、「年神」さまのお供えはその地方によっても違いがあり、当然お雑煮の中身も違う。越後の年越しに欠かせない鮭も富山あたりでは鰤になり、青森では鱈になる。お餅にいたっては丸餅、切り餅、焼く、茹でると千差万別。
 何が良いかではなく、その年の神様に、その年の採れた物をお供えし、みなでお降りをいただく。もともと、収穫に感謝する思いこそが、その本質ではなかったろうか。(立)

年夜

大呂俳句会 投稿日:2012年2月4日 作成者: dvx223272012年2月4日

 

嫁いできた年の暮れ、東京にいたときのようにお節を作った。黒豆は二日間、煮立たせないように湯の中で、豆が自ら蜜を吸ってふくらみ柔らかくなるのを待ち、百合根は裏ごしして栗の含め煮とあわせ金団に。八が頭はお出汁でことことと。牛蒡は少し濃い目の味付けで白胡麻をまぶし、人参は型で抜いて梅の花に、蒟蒻はくるりとねじる。出来上がった煮しめをお重につめるのも楽しい。
 さあ、明日の準備万端というその夜、この新潟ではそのお重を持ち出し食べ始めたのだ。なんということ、実家ではせいぜいつまみ食いくらいで、お正月まで蓋を取ることは許されなかったのに。それでは明日の朝は何を食べるの。お正月早々食べるものがないじゃない!
 ところが物の本によれば、本来一年の変わり目は大晦日の晩であって、この夜を「大年」とか「年越し」といって、この日に神様を迎えおまつりする。そのためにご馳走をつくり、そのおさがりを翌日雑煮としていただく。これが本来の年越のあり方らしい。とすれば、新潟には古い形での年越の習慣が残っていたということになる。いま頃になって、このようなことがわかったのも、俳句の功徳かもしれない。(立)

流れる水

大呂俳句会 投稿日:2012年2月4日 作成者: dvx223272012年2月4日

 不覚にも風邪を引いてしまった。僕の風邪は胃腸に来る。熱もなければ咳もくしゃみもない。吐気と下痢の風邪である。
 体のものをすっかり上げてすっかり下して青息吐息、もう人生も終りかというところで喉が渇いた。また下るのではと思いながら、乾きには耐え切れずごくごく水を飲むと不思議とひとごこちつく。
 体の欲するにまかせて、どんどん水を飲んでどんどん下して、ああ、人間も水の通り道のようなものか、と苦笑い。そのときふと思いついた句が、

人間は管より成れる日短  川崎展宏

この句の「日短」の意味が、自分流に合点がいくようでもあった。(きぬた)

リボン

大呂俳句会 投稿日:2012年2月4日 作成者: dvx223272012年2月4日


プレゼントに掛けられた美しいリボン。それを解いたあと捨てられずに、箱に貯めておくようになったのは何時のころからだろう。
最近ではチョコレートや贈答のワインなどにも美しいリボンが掛けられている。子どものころ、三つ編みにしたおさげ髪の先をゴムで結わえその上からリボンを結んでいたが、あの頃は明るくはっきりとした色が多かったように思う。まだ、時代が先の戦争を引きずっていたのだろう。
箱に貯めた沢山のリボンには白や黒、ブルー、茶など子どもの頃にはあまり、お目にかからなかった色のものがある。金色の包装紙に茶色や黒などのリボンはモダンだが、今の時代こそ映えるものだろう。中には店のネームをプリントしたものや、ジョーゼットのような生地を二三枚重ねた凝った造りの物もある。
幅広のも、細いもの、箱一杯のリボンは掛けられていたプレゼントや到来ものに行き着き、親しく交わした友情や楽しかった思い出に及ぶ。蓋を取ると溢れるリボンはその懐かしいひと時につながる。結び目の皺を、熱い鍋や薬罐にあてて伸ばすことは母が教えてくれた。クリスマスも過ぎてプレゼントに掛けられていたリボンは箱に仕舞われ、パンドラの箱を開けた時のように、懐かしいひと時を蘇らせてくれるリボンとなるのだろう。(立)

冬至

大呂俳句会 投稿日:2012年2月4日 作成者: dvx223272012年2月4日

 きのうが冬至の節入り、今日から少しづつ日が長くなる。きのうがいわばどん底ということで、これ以上日が短くならないことから、昔の人は冬至の日を「一陽来復(これ以上悪くならないという意味)」と言って祝った。
 折から日本列島には強い寒波が襲いかかろうとしている。日ごろから健康に留意していれば、寒波も何のそのであろうが、不摂生は人間の得意とするところ、せめて急ごしらえの冬至湯と冬至南瓜でこの寒波を乗り切りたい。冬至湯も冬至南瓜もそれがどうにかしてくれるというものでもないのだろうが、心の持ちようでは少しは効果があるかもしれない。
 不摂生も不精も急ごしらえも迷信もいわば俳諧の「調味料」のようなもの、科学的根拠に裏づけされた分けでもない昔からの習慣も、まあ捨てがたいというところか。(きぬた)

少しだけ思いを抑えて

大呂俳句会 投稿日:2012年2月4日 作成者: dvx223272012年2月4日

 「出すことの叶はぬ文や冬昴 弥生」
 句会の席上で「冬昴がきれいすぎる」との評があった句。少女小説に出てくるようなフレーズ「出すことの叶はぬ文」と「冬昴」の取り合わせがそう思わせるのでしょう。後でこの句をよく吟味してみると、「出すことの叶はぬ文」がやや説明的であることに気づきました。説明的なのですが、たっぷり思いが込められているので、いくらかは救われているということ。
 できれば、説明的なものを取り除きたいのですが、これがなかなか難しい。説明的な表現を避ける方法として、句を「現在進行形」にするのが一つの方法ですが、はたしてこの句にそれができるでしょうか。
 たっぷりとした思いを少し抑えて、「文したためてみたものの」くらいでどうでしょう。一応、「現在進行形」あるいは「現在完了形」にはなっているようです。表現を抑えることで「冬昴」という美しい季語もそんなに気になりません。季語を生かす、季語の顔を立てる、そのためにも少しだけ思いを抑える工夫をしてみてはどうでしょう。

冬昴文したためてみたものの
(きぬた)

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