鏡開き

遠い記憶の中に学校から戻ると、あられを炒った時の香ばしい匂いとお餅の焦げる匂いとがある。三学期も始まって寒く、つまらない日常が戻った頃の、少し淋しい思いに結びつく。
鏡開きは、お正月に仏壇や神棚にあげたお供えを下げてきて皆でいただく。その頃のお供えは表面はからからに乾き、ひび割れて固く、およそ食べ物とは思えない代物になっていた。母はそれを根気よく割り、大小のお餅の塊にしていった。大きなものは少し焼目をつけてそのままお汁粉の鍋に、小さなかけらは、油で揚げたり、フライパンで炒って醤油をさし即席の霰にしてくれた。このお供えを崩して作った霰は、どのように炒っても必ず芯が残りいつも奥の歯に挟まって子ども心にも不快だった。
今は真空パックのお供えや、お供えの形をしたプラスチックの容器に切り餅を入れたりしたものがはやっているが、形だけの罪滅ぼしのような代物だ。お降りという以上、我われ人間は文句を言えないはずだか、どうも大人も子供も贅沢で我がままになってしまったような気がする。(立)
