そういわれてみれば、ファとかシとか聞こえてきそうである。「音階のようなサイダーの泡」が句の原型、その原型の踏み台から飛んだところに「ありにけり」という断定が生まれる。(m)
カテゴリーアーカイブ: 一句鑑賞
まいまい句会感想③
自らの重みで丸む茄子かな 真紀子
自らの重みでたわむ(曲がる)なら解るのですがこのままですと意味が解りません。
ソーダ水手に手に弾む映画評 真紀子
ソーダ水をなににかえても俳句になります。季語は単独でぽんと置く呼吸を、「おつかない映画見て来てソーダ水」
父の日や大黒柱の照れ笑い 森本哲雄
このまま素直に直すとすれば、「父の日やまだ若き父照れ笑ひ」くらいでしょうか。
父の日や父の背丈を追い越して 森本哲雄
少し気持ちを込めて「父の日やいつの間に越す父の丈」
蜘蛛が死ぬ畳の上に仰向けに 場拭き
意味は解りますが全く面白くありません。同じ作者の他の二句は意味が解りません。
(立)
まいまい句会感想②
紫陽花や海から暮れてゆく神戸 葦たか
「海から暮れてゆく神戸」が安易なつくりなので、季語の「紫陽花」を何に変えて一応、句にはなります。ご自分で季語を変えてみて下さい。「夾竹桃」「立葵」「卯の花」花以外でも「空蝉」「片陰」なんでも形になります。只作るだけではなく、何が言いたいのか何に感銘したのか俳意をしっかり持ってお作り下さい。それを心がけて作らないと一応形も整い意味も通じる俳句はできますが、面白みに欠け何処かで誰かが作ったような句しか出来ません。ここまで出来ているので良い句を読み勉強してください。
暑き日や高架の下のスプレー画 ひろし
むき出しのコンクリートに描かれたスプレー画は確かに暑苦しいものです。がこれでは夕立ちが去ったあと涼しいと言っているようなもの。例えば視点を少しずらして「夜の秋」とか「虫の啼くや」とか動詞の入った季語を使うなどして推敲してみてはいかがでしょう。ただ、中七下五がもう一歩かと思います。
山宿を発つ日明るし山法師 ひろし
少し意味が解りにくい句です。太陽が昇って明かるいのでしょうか?また山法師の山と山宿の山がうるさく感じます。
(立)
まいまい句会感想①
一雨のもたらす庭の涼気かな 雅宏
季語の「涼気」が何とも説明的で句を退屈にしています。
化野の野仏洗ふ白雨かな 雅宏
この句もはたして「化野」が必要かどうか考えてみるべきではないでしょうか。
盆供へ盛ればまなつの色揃ふ さら紗
東京あたりでは七月にお盆の行事をしますが、俳句でお盆は秋の季語になります。したがって盆供は秋の季語になり、まなつの色と矛盾します。
懐かしきジャックとベティ浮いて来い くに
仮に「浮いて来いジャックとベティ懐かしき」としても季語との距離が遠いように思います。
浮世絵の伊達男なる長茄子 くに
この句も同じでように思います。
雲よりも上てふお花畑かな ひとみ
作句するとき○○よりとか○○してと置くと状況の説明や条件付のようになってしまいます。「雲の間に町を望むやお花畑」など工夫することも大切です。
(立)
炎天へ打つて出るべく茶漬飯 川崎展宏
一句を読み解く216
箱を出て京の香れる扇子かな 伊藤イサオ
何もせぬ罪もありけり浮いて来い 葦たかし
夏痩や水に浮きたる付け睫毛 榮猿丸
こういうところに目が行くのも俳句、もしかしたら、目の当たりにした事柄ではなく想像力の産物かもしれない。そういうことを感じさせる一句である。想像力も俳句の大切な要素。(m)





