一句を読み解く13

啓蟄や豆を煮るとて落し蓋 鈴木真砂女
五千余りある季語の中で、目に見えない季語、物質として存在しない季語がある。おもに「時候」に分類される季語で、春の季語ならば「弥生」、「春寒し」、「冴返る」、「春の朝」、「春の愁(生活)」「西行忌(行事)」などなど。真砂女の句の「啓蟄」もその種の季語で、二十四節気の一つである。「啓蟄」の「啓」はひらくを意味し「蟄」は「土の中で冬ごもりしている虫」を意味する。冬眠の蛇や蛙などが暖かさに誘われて穴から出てくるというのが「啓蟄」である。
物質として存在しない「啓蟄」という季語、真砂女はこれに「豆を煮る」という家事を取り合わせた。「落し蓋」という具体的な道具が「豆を煮る」という行為をより鮮明にしている取り合わせである。「啓蟄」などのアトモスフィアな季語には鮮明な事象を取り合わせる。これが、真砂女の句から学ぶことである。では、アトモスフィア+鮮明な事象の句をいくつか。(kinuta)
| 春昼の空より落ちて松葉かな | 宇佐美魚目 |
| 永き日を順礼渡る瀬田の橋 | 夏目漱石 |
| 春寒や竹の中なる銀閣寺 | 芥川龍之介 |
| 啓蟄の煙が松の幹のぼる | 桂信子 |
| 花冷えの箱に音する吉野葛 | 桂信子 |
| 春昼やほのかに匂ふ青畳 | 五十嵐播水 |
| 還俗のあたま痒しや暮の春 | 几董 |
| 啓蟄のわが門や誰が靴のあと | 高橋淡路女 |
| あたたかや海に浮んで海の鳥 | 今井杏太郎 |
| 如月や子規の机のうすき傷 | 山本洋子 |
| 春昼の灰のつめたき香なりけり | 草間時彦 |
| 春昼や山越えて来し魚売 | 田中冬二 |
| 春の夜や檸檬に触るる鼻のさき | 日野草城 |
| 行く春やおもたき琵琶の抱きごころ | 蕪村 |
| 茶杓にも影といふもの利休の忌 | 渡辺文雄 |
| 立春や人によりくる石たたき | 岩井善子 |
| 正月や辻の仏も赤頭巾 | 一茶 |
| 病む父のほとりに母や水の秋 | 長谷川櫂 |
| けさ秋の伊豆のみえたる机かな | 長谷川櫂 |
| 葭倉に蛇入りにけり明易し | 武藤紀子 |
| 短夜や桶に山百合浸しあり | 飛岡光枝 |
| 麗らかや井筒の蓋に石一つ | 唐振昌 |
| 白砂に寄る白き波西行忌 | 小寺敬子 |
| 永き日を囀たらぬ雲雀かな | 芭蕉 |
| 初午や物種うりに日のあたる | 蕪村 |
| みじか夜や毛むしの上に露の玉 | 蕪村 |
| みじか夜や枕にちかき銀屏風 | 蕪村 |
| 涼しさや鷺も動かぬ杭の先 | 正岡子規 |
| 挑灯の厠へ通ふ夜寒哉 | 正岡子規 |
| あたたかやしきりにひかる蜂の翅 | 久保田万太郎 |
