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カテゴリーアーカイブ: エッセイ

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栗

大呂俳句会 投稿日:2012年10月22日 作成者: dvx223272012年10月22日

 栗を見るとなぜか故郷をおもいだしてほっこりした気持ちになる。
私の実家の庭先には栗の木が二本あった。秋の夜布団に入り耳をすますと、ぼと、ぼと、と栗の落ちる音が聞こえる。翌朝、日に輝く宝石のような栗を姉と争って拾ったものだ。
その栗が先日田舎から届いた。姉は大ぶりの栗を選び、甘辛く煮て瓶につめて持って来てくれたのだ。この姿になるまでどれほど手間がかかったのだろうか。
 そうこうするうちにこんどは友人から、栗ごはんを頂戴した。新米に丁寧に剥かれた栗がころころと顔を覗かせている。心のこもったご飯を美味しく懐かしく頂いた。子供のころ栗ごはんの栗ばかり拾って食べ、叱られたことを思い出す。栗ようかん、栗の入ったどら焼などその中の栗が目的で食べているような気がする。
 手間のかかるものはなべて出来上がると美味しい。栗は毬(いが)に包まれた実を取り出し、固い皮をとり、渋皮を除きと何とガードが堅いことか。やっとたどり着いた中身は苦労の甲斐があって、ご飯にしても、甘露煮にしても手間の分美味しく感じる。作ってくれた人の苦労がしのばれ、美味しさかが倍増するのかもしれない。
 今年もいただいたその栗のおいしさにしみじみと秋が終わるのを感じている。(栞)

キャシュな猫たち

大呂俳句会 投稿日:2012年10月4日 作成者: dvx223272012年10月4日

 「まあゲンキンな子だね」とか「なんてゲンキンな人なのかしら」などと用いられるゲンキンとは、利害関係によってその態度・主張をかえることとあり、現金の漢字があてられている。こんな人と友だちになるのはごめんだが、中には可愛い奴もいる。
 長く暑かった夏も、ここ数日はぐっと涼しく過しやすくなって来た。夏に使った薄掛けやタオルケットなどを洗ったり、暑さで手の回らなかったところを掃除したりと、この所ちょっと忙しい。
 夏の間は、討ち死にしたようにグッターとしていた猫たち。いくら呼んでも知らん顔をしていたのに、この頃になると夜は布団の足元でちゃかりと眠っている。一匹は人の足をまくらにお休みだ。そして大好きなのが日向。あまりによい日差しに布団を干すと、もうそこは彼らにとって最高のベットだ。うらうらと一日過し、挙句の果ては干してある布団の上でじゃれあいのプロレスごっこ。たっぷりと休息をとった後だけに、大変な騒ぎとなる。叱れば、脱兎のごとく二階へ駆け上がり飼い主の様子を伺っている。暫くはおとなしいが夕方になれば、尻尾を立てて甘え「ねえねえ」と擦り寄ってきてはキッチンの流しの淵に手を掛ける。「全くゲンキンなんだから」と言いつつ甘えられれば無条件で可愛い。
 相手が人間だったらこうは行くまい。思い通りにならない複雑な感情にイライラとし、最後は自分で自分を持て余すだろう。そんな人間をみて、猫は「我々はもっと単純でわかりやすいさ」とばかり、食事をもらった後は呼んでも来ない。(立)

蓮の実

大呂俳句会 投稿日:2012年9月27日 作成者: dvx223272012年9月27日

 今年も蓮の実の熟れる時期になった。このころになるといつも思い出す。終戦のとき私は小学一年生だった。日本中が食糧不足の中、親の苦労が今更のようにしのばれる。いつも甘いものに飢えていた子供たち。秋はいろんなものが熟れる。だから秋が大好きだった。
 中でも蓮の実、蓮の花が終わると緑いろの蜂の巣状になる。その穴に豆のような実が熟す。母はその蜂の巣みたいな物をぱかんと二つに割って子供たちに分け与えてくれた。
 私たちは一粒ずつていねいに穴からほじくり出して薄茶色の皮をむいて食べた。それはピーナツのように白くちょっとやわらかくほのかに甘い。子供たちはそのほのかな甘みでしばし癒された。
 蓮の実は熟れると穴から飛び出して水中におちるという。その時音がするというがその様子も見たこともないし、音も聞いたことがない。きっと満月の夜にでも飛び出すのだろうか。蓮池のあちこちでポーン、ポーンと飛んで水の中に静かに落ちていくのだろう。創造するだけで神秘てきでわくわくする。(しをり)    

道具

大呂俳句会 投稿日:2012年9月25日 作成者: dvx223272012年9月25日

 妹が亡くなり一人っ子である甥が、ペーパードライバー返上のため新潟に車の練習に来た。地方の車の少ないところで、練習したいらしい。ついでに、母親の味も教わって行った。
 車の方はともかく、包丁の方は今時の子らしく全くおぼつかない、呆れるほどだ。
 教えて欲しい料理の中にオムレツがあった。彼が言うオムレツはひき肉と玉ねぎをいため、卵でくるんだ我が家に伝わる惣菜オムレツだ。何も知らない彼は長らくこれを本来のオムレツと思っていたらしい。ついでにマカロニサラダとけんちん汁、新潟で食べた鯨汁も教わっていった。サラダに入れる胡瓜の千切りも人参の千切りも実に危なっかしい。
 いやそれ以前に包丁の持ち方がおかしい。鉛筆は鉛筆削りで、マッチはチャッカマンでと身の回りから基本的な道具が消え、ナイフを使う事もマッチを摩って火をつける事もなくなってしまった。道具は子どもの頃から正しい使い方をマスターすれば、それ程危険ではないはず。ちゃんと使いこなしてこそ、安全に使えるのに、大事にされすぎた現代の子等は生きるために必要な道具の使い方が出来ない。(立)

妹のこと⑤_亡骸

大呂俳句会 投稿日:2012年9月8日 作成者: dvx223272012年9月8日

 数年前、棚から誤って落ちた愛猫は即死状態だった。哀しくてバスタオルに包んで暫く抱いていた。抱き直そうと腕を動かした時、腕におしっこが伝った。腕の中の猫は段々に固くなり、今までとは何一つ変わっていない外観でありながら何か違う。強くそう感じさせるものがあった。それは、そのものを内面から形作っていた大切な何かが失せてしまった、縫いぐるみでもない、剥製でもない魂の去った愛猫の抜け殻と気がついた。
 妹の死化粧をしながら、姉が言った。
「氷のうえに紅をぬるようで、色がのらないのよ」
 納棺の時、妹の頬は人の皮膚でありながら、芯は固く冷たく手でさすっても、こちらの頬をよせても何の変化もなかった。魂が在るか無いか化学的な解明などそんなことはどちらでもよい。言葉や感情はその人を通して、その人の魂と交わしているのだなとつくづく思った。魂のない亡骸にいくら語り掛けても返信はない。
 お棺に納めた生花は死者よりも暖かく柔らかかった。カトレア、欄、カーネーションと色とりどりの花だけ見ていると、まるで花嫁のブーケのようだ。童顔の妹を見て思わずつぶやいた。
「死神の花嫁になるにはまだ早すぎるよ」(立)

妹のこと④_言霊

大呂俳句会 投稿日:2012年9月6日 作成者: dvx223272012年9月6日

 妹の通夜の席で若い僧侶が説法をした。まだ、三十代も前半だろう。
 事前に家族から仕入れた故人のパーソナリティをすらすらと紹介してあとは遺されたものを励ますという、門切り型の説法だった。
 阪神大震災の時、女の子をなくした僧侶がいた。その人は罹災した檀家さんの通夜で仏様の御許に行かれたのだから、と心の安心(あんじん)を家族に説き、あまり力を落とさないよう元気づけ寺に戻った。家(寺)には幼い我が子の遺影が飾られ白木の位牌も生々しい。涙する父の姿を見て、亡くなった女の子のお姉ちゃんが言ったそうだ。「○○チャンは仏さまの所に行かれたのになぜ、お父さんはそんなに泣くの」と。人の苦しみや悲しみを本当に理解すれば、自分の言葉で語って欲しい、そう思うのが人情だろう。例え拙くてもいい、言葉には命が宿るのだから。(立)

妹のこと③_思い

大呂俳句会 投稿日:2012年9月4日 作成者: dvx223272012年9月4日

 妹の死を切出した時「実は私の主人も・・・」と友人が語りだした。癌にかかって病に向き合う日々の経緯を。亡くなる前に家まで買ってくれ、最後まで家族の事を考えていてくれたと。その淡々とした口調はやがて、言葉より感情のほうが勝り最後は言葉にならなかった。
 辛いことはそう易々と、誰彼に話せるものではない。常識を持った人なら、悲しみはろ過し、狂おしいほどの感情は沈め、言葉に置き換えることのできる、理性をともなった感情をもって話す。そう考えるのが普通だが、悲しみにあった人はこの狂おしいほどの感情を言いたいのだ。不条理を怒り、悲しみ、大声で泣き叫びたいのだ、子供のように。
 一見、冷静にしている人も、相手が同じ境涯だとわかると理性の扉は外され、沈殿していた感情が一気に湧き上がり、胸の奥の熱い思いを話し始める。そうすることにより、沈殿物の嵩も減ってゆくのかもしれない。
 お釈迦さまは、我が子を亡くした母親がこの子を生き返らせて欲しいと願い出た時、「まだ、一度も死人を出したことのない家から芥子の実をひと粒もらって来なさい」と伝える。古代インドの大家族の中で死者を出さない家などあるはずもない。村々を歩き回った果て母親はやがて、我が子の死を受けいれることが出来るのだが、死は日常の裏側に少し身をかくしつつ確かに存在している。(立)

妹のこと②_嘘

大呂俳句会 投稿日:2012年9月2日 作成者: dvx223272012年9月2日

 人に嘘をつくことは誰だってある。ちょっとした悪戯やいい訳に。あまりに真っ正直にこられてはこちらも辛い。人の世の潤滑油くらいの嘘なら人間の生み出した知恵くらいに思っていればいい。
 困る嘘は人を傷つけ陥れる嘘だ。その根本にあるものは自分自身に嘘をつくことだろう。自己愛のため、自己防衛のため、自分自身に嘘をつきごまかし、そうだからと思い込もうとする。そのために人を傷つけ、平気で人を不幸にする。そうやって重い思いを胸に抱き、押し潰されそうになりながら毎日を過ごす。まあ当人がよいならそれも一つの選択肢だろう。
 やがて時が来てお棺の蓋は閉じられ、生涯自分を偽った嘘は肉体とともに焼きあがるのか、それとも焼きあがった骨に影でも落とすのだろうか。

 妹の通夜で若い僧侶は「修証義」の第一章を唱えた。「己に随(したが)い行くはただこれ善悪業等(ぜんあくごっとう)のみなり。」たいして良いこともしてこなかったけど自分の心に嘘をついてまで人生を捻じ曲げたり、人を不幸に落し入れたくないな。
 そんな生き方とは無縁の屈託なく笑いかける妹の遺影が、様々なことを考えさせる。(立)

妹のこと①

大呂俳句会 投稿日:2012年9月1日 作成者: dvx223272012年9月1日

 妹が亡くなった。笑いかける遺影はまだ少女のようで、看病にあたった長男を看護婦さんが恋人と間違えるほどだった。六十になんなんとしているのに、髪は黒々として、眼鏡すら必要としなかった。若々しいゆえに病の進みも速かったのだろう。見切り発車の治療だったが、間に合わなかった。
 父も母もすでに鬼籍にはいっているが、死者と向き合う時いつも考えるのは生きている自分、この世に留まっている自分だ。
仏教ではこちらの岸を此岸、向こうを彼岸と呼ぶ。此岸にいる我々は稀に訪れる近しい者の死に様々な思いを抱く。悲しみや怒り失望などその感情の渦は、慰めや励ましや涙を流す事によって一時は治まってもまた最後に自分のところに戻ってくる。そして生きている我々に沢山のことを考えさせ、気付かせる。
 死者は語らずとも、生きている者に問いかけ、自問自答であれ胸の内になにか語らせるのかもしれない。(立)

蚊帳

大呂俳句会 投稿日:2012年8月11日 作成者: dvx223272012年8月11日

 祖母が蚊帳を用意し始めると、わくわくしたものだ。
 青い大きな蚊帳は海のようで、広げるそばから飛び込んでは祖母に叱られた。弟と二人、吊るした蚊帳へ海底の洞窟を探検する気分で入った。蚊帳の中は深い海のようで、電気の紐がゆらゆらと昆布のように揺れている。いやあれは水母だなどと探検気分に浸っているうちにいつの間にか眠っていた。そんな日は何故だかぐっすりと眠れた。
 翌朝は、畳んだ蚊帳で弟を簀巻きにし転がして遊んでいると、また祖母に叱られた。
 大人になり「蚊帳は花嫁道具になるくらい大事なものだった」ということを祖母から聞いた。
 わずかばかりの借地で麻を作りそれを糸にする。それは経験した者でないとわからない大変な作業で、紡いだ糸をさらに蚊帳に編んでゆく。昔は家事・炊事・畑仕事の傍ら夜なべをして何年もかけて仕上げたそうだ。だから火事があると、一目散に蚊帳を持って逃げるのだと。
 当時の蚊帳は無くなって久しい。何も知らずに無邪気に遊んでいた子供の頃を思うと祖母に申し訳ないような気分になる。
 蚊帳も含め多くの物は失くしてから大事なものだと気付くようだ。(智子)

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