キャシュな猫たち
「まあゲンキンな子だね」とか「なんてゲンキンな人なのかしら」などと用いられるゲンキンとは、利害関係によってその態度・主張をかえることとあり、現金の漢字があてられている。こんな人と友だちになるのはごめんだが、中には可愛い奴もいる。
長く暑かった夏も、ここ数日はぐっと涼しく過しやすくなって来た。夏に使った薄掛けやタオルケットなどを洗ったり、暑さで手の回らなかったところを掃除したりと、この所ちょっと忙しい。
夏の間は、討ち死にしたようにグッターとしていた猫たち。いくら呼んでも知らん顔をしていたのに、この頃になると夜は布団の足元でちゃかりと眠っている。一匹は人の足をまくらにお休みだ。そして大好きなのが日向。あまりによい日差しに布団を干すと、もうそこは彼らにとって最高のベットだ。うらうらと一日過し、挙句の果ては干してある布団の上でじゃれあいのプロレスごっこ。たっぷりと休息をとった後だけに、大変な騒ぎとなる。叱れば、脱兎のごとく二階へ駆け上がり飼い主の様子を伺っている。暫くはおとなしいが夕方になれば、尻尾を立てて甘え「ねえねえ」と擦り寄ってきてはキッチンの流しの淵に手を掛ける。「全くゲンキンなんだから」と言いつつ甘えられれば無条件で可愛い。
相手が人間だったらこうは行くまい。思い通りにならない複雑な感情にイライラとし、最後は自分で自分を持て余すだろう。そんな人間をみて、猫は「我々はもっと単純でわかりやすいさ」とばかり、食事をもらった後は呼んでも来ない。(立)