栗
栗を見るとなぜか故郷をおもいだしてほっこりした気持ちになる。
私の実家の庭先には栗の木が二本あった。秋の夜布団に入り耳をすますと、ぼと、ぼと、と栗の落ちる音が聞こえる。翌朝、日に輝く宝石のような栗を姉と争って拾ったものだ。
その栗が先日田舎から届いた。姉は大ぶりの栗を選び、甘辛く煮て瓶につめて持って来てくれたのだ。この姿になるまでどれほど手間がかかったのだろうか。
そうこうするうちにこんどは友人から、栗ごはんを頂戴した。新米に丁寧に剥かれた栗がころころと顔を覗かせている。心のこもったご飯を美味しく懐かしく頂いた。子供のころ栗ごはんの栗ばかり拾って食べ、叱られたことを思い出す。栗ようかん、栗の入ったどら焼などその中の栗が目的で食べているような気がする。
手間のかかるものはなべて出来上がると美味しい。栗は毬(いが)に包まれた実を取り出し、固い皮をとり、渋皮を除きと何とガードが堅いことか。やっとたどり着いた中身は苦労の甲斐があって、ご飯にしても、甘露煮にしても手間の分美味しく感じる。作ってくれた人の苦労がしのばれ、美味しさかが倍増するのかもしれない。
今年もいただいたその栗のおいしさにしみじみと秋が終わるのを感じている。(栞)