使ってみたい季語 2 鳥雲に
履きなれしものにも果てや鳥雲に 飴山 實
先日の定例句会で「串に刺す三色団子鳥雲に」という、俳句が出された。「履きなれし」もそううだがなぜ「鳥雲に」なのか、この付きがわからないという。二つは取り合わせの句だが、季語が俳句と近ければ付きすぎといわれ、遠いと離れすぎといわれる。季語を斡旋する前によく季語の守備範囲を見極めるのが大切。「鳥雲に」の季語の解説は「春に北方に帰る渡り鳥が、雲間はるかに見えなくなること」とある。ここからが大切で、解説を読んだり実際その様子を見たりした時にわき起る自分心の中の感情を、しっかり言葉にして捉えること。鳥達が皆、無事にふるさとへ戻って欲しい、春は鳥も旅立つ 淋しい 広々としたのどかな春の空など、これらは季語の持っている守備範囲に含まれる。
「履きなれ・・・」の句には普段使っていた履物が磨り減って使えなくなってしまった物への別れの気持ちが、遥か彼方に去り行く鳥たちとの別れと重さなり合う。さらには日本人の持っている万物に精霊や神が宿っているというアニミズムの考え方が、去って行く鳥たちにも投影されているのかも知れない。また、遥かな所へ魂が帰ってゆくイメージも雲間を行く鳥にはある。針供養 筆塚 道具塚など命を持たぬ物にさえ感謝といたわりの気持ちを持って形にしてきた古人の心は、今も我々の気持ちの奥底に横たわっている。ものが果てたことと鳥が去っていくことは一見関係がないように見えるが、何処か心の深い意識の中で繋がっている。こういった感情を言葉で表現するのは大変だが、俳句の力は不思議で一読すると忘れられない一句となる。なお、「鳥曇」は天文の季語で鳥が北へ帰る頃の曇った空を指す。
鳥雲に入りて松見る渚かな 白雄 「白雄句集」
朝たつや鳥見かへれば雲に入 浪化 「白扇集」
鳥雲に入る熊谷の堤かな 士郎 「枇杷園句集」
鳥雲に身は老眼の読書生 松本たかし 「松本たかし句集」(立)