春の水山なき国を流れけり 蕪村
俳句を作る人なら「春の川」ではなく、「春の水」と置いたところに注目しなくてはいけない。「川」を構成する要素の一つが「水」、「川」を構成する要素の一つが「流れる」、「川」を構成する要素の一つが流れる場所、つまり「山なき国」。つまりこの句は、春の大河をいったんは要素別に分解して、分解した部品を組み立てなおしてできあがっているといってもいい。「川が流れている」といっているだけの句であるが、「山なき国」という言葉を得て、のびやかな一句となった。(m)「季語 春の水」
俳句を作る人なら「春の川」ではなく、「春の水」と置いたところに注目しなくてはいけない。「川」を構成する要素の一つが「水」、「川」を構成する要素の一つが「流れる」、「川」を構成する要素の一つが流れる場所、つまり「山なき国」。つまりこの句は、春の大河をいったんは要素別に分解して、分解した部品を組み立てなおしてできあがっているといってもいい。「川が流れている」といっているだけの句であるが、「山なき国」という言葉を得て、のびやかな一句となった。(m)「季語 春の水」