食べもの歳時記3 「蕗の薹」
何年か前、もと国鉄のフルムーンのポスターでおなじみの群馬県の温泉に行った。ごろごろとした玉石の間から、無色透明の湯がポコリポコリと湧きだし、高窓からは冬の日差しが射している。夕食には、茸や塩蔵した山菜の料理が並んでいる。お給仕をしてくれる仲居さんが「どちらからですか」と尋ねるので、「新潟からです」と、答えるとちょっと苦笑いをしながら、「ああそれでは敵いませんね」と言う。よく聞くと山菜の事らしい。春になって自分たちも山菜を採りにゆくが、わざわざ車を使って新潟まで行くという。日の燦々と当ったものより、雪が深いところの山菜のほうが柔らかでアクがないらしい。都市のマーケットでは、今頃の季節になると蕗のとうやたらの芽などが、パック詰めされて売っているが、とても山菜とは思えない。新潟では日当たりの良い所にやっと黒々とした土が見え始める頃、長靴でその土を蹴飛ばし真っ白な雪をどろどろに汚しながら、蕗の薹を探す。あの輝くような緑のつぼみを見つけたとき、やっと春にであった喜びを感じる。まさに春の光そのものだ。蕗は根で繋がっているので、一つあるとその辺りにまたあるものだ。雪の上に五つ六つと転がして、長靴で雪を蹴飛ばしては探す。こうして雪の中で寝ている子を無理やり起こすようにして積んだ蕗の薹は、アクが少なく柔らかい。
さてこの蕗のとうパスタにすると、また趣が違って美味しい。ざくざくと刻んだ蕗の薹をオリーブオイルでサッと炒め、胡椒をふり塩ではなくアンチョビで味を調える。蕗の癖とアンチョビの癖がぶつかり合い深い味わいをかもし出してくれる。パスタの白と、蕗の薹の緑とところどころ見えるアンチョビの色が、先ほどの蕗の薹を探しに行った野の景色の色となって皿の上に現れる。(立)