大げさということ②
斯く迄に囁くものか春の水 高浜虚子
この句は心の動きを大げさに表している。俳句の構造はきわめて単純で、囁くもの=春の水という等記号が成立している形。無難なところなら「さらさらと囁きにけり春の水」なのだろうが、それでは凡庸、「斯くまでに」と大げさに驚いて見せることで、作者の感動がぐいと表に出た一句である。自分の俳句に少し飽き飽きしてきたら、たまには大げさに驚いてみるのもいいのかもしれない。
雲足のはやきを嘆き木賊刈 飴山實
この句も心の動きを「嘆き」という言葉で大げさに表現している。
雪解けて村一ぱいの子ども哉 一茶
これは、数量を大げさに表現した俳句。村にあふれるほど子供がいるわけではないのだが、雪解に促されるようにはしゃぎ回る子供が村のいたるところに見られる、それを「村一ぱいの子ども」とちょっと表現して見せた。作者のうきうきした気分がよく伝わってくる俳句である。
痰一斗糸瓜の水も間に合はず 正岡子規
これもまた数量を誇張して俳句。子規の辞世の句の一つで、季語は「糸瓜の水取る」、糸瓜の水は痰を切るのによく効くとされている。句の一斗は約十八リットルだから、一升瓶で十本の計算になる。病を詠んで悲壮感が漂うが、百年以上時がたってしまえば、「痰一斗」にユーモアも感じられる。
(m)
