山の薯下(おろし)金にて紐となる 阿波野青畝
直喩が下敷きになっている。「山の薯紐のごとくにおろさるる」が直喩の俳句である。直喩を一跨ぎした断定がこの句の魅力であろう。句は何を言っているわけでもない。ただ、山芋を下ろした、それだけのこと。それだけのことが、何やら味わい深い。これもそれも、「紐となる」という直喩を越えた喩のちからによる。俳句は、表現の文芸なのである。(m)
直喩が下敷きになっている。「山の薯紐のごとくにおろさるる」が直喩の俳句である。直喩を一跨ぎした断定がこの句の魅力であろう。句は何を言っているわけでもない。ただ、山芋を下ろした、それだけのこと。それだけのことが、何やら味わい深い。これもそれも、「紐となる」という直喩を越えた喩のちからによる。俳句は、表現の文芸なのである。(m)