まいまい句会感想
セーラー服ペダル踏込む春隣 いけさん
セーラー服の女学生が自転車を走らせている姿でしょうが、ご自分の事として 「思い切りペダル踏み込む春隣」としたほうが生き生きとすると思います。
一列で受ける御祓ひ水温む いつせ
御祓と水温むが面白い取り合わせですが、一列が説明です。一工夫されると良いでしょう。
春蜜柑想い違える子と母と くに
少し複雑な事を言い過ぎているようです。
幼子のそつと近寄る雪だるま くに
もう一歩の描写が欲ししいところ 例えば恐々とか
柔らかき心になるや梅の花 くに
柔らかき心より、梅の花を見ての思いなので、「心ほごるる梅の花」としてはどうでしょう。
ものの芽や土ほろほろと庭いぢり しんい
庭いぢりと土とものの芽がつきすぎのようで、句の世界が広がってゆきません。初蝶などまず、季語をかえてみては。
福引や運の初めの米五キロ しんい
これでも良いのですが、「運の初め」が少し解りにくいように思います。すなおに「福引やお米五キロをひきあてて」で良いのではないでしょうか。
冬芽立つ二の丸跡の桜かな しんい
出来ている句なのですが、二の丸跡が城跡でも良いし、動いてしまうのが問題です。。
立春の公園歩く童かな とも
句の形は出来ているのですがただ事で終っています。ご自分で何に感動したのか考えてみると良いでしょう。
大寒や嘆声あふる大仏殿 とも
何の喚声でしょうか具体的に言わないと読み手はわかりません。
折り紙の手さばき軽き小春人 とも
小春人が解りません。小春は冬の時候の季語で陰暦十月の異称です。この頃は暖かい日和が続くので小春日、小春日和、小六月等と言って称美します。小春人は造語でしょうか?
二歳児にまだ早すぎし紙風船 ひとみ
「まだ早すぎし」が説明で読み手はああそうですかで終ってしまいます。
門番の犬をよこ目に猫の恋 ひとみ
面白いのですが、「よこ目に」が少し自分に引き寄せすぎているように思います。単純に言ったほうが読み手に想像の余地を与えてよい句になると思います。
朽ち果てた大木も有り冬木の芽 ほしくづ
朽ち果て木もあり、芽をつけている冬木もあるということでしょうか。少し解りにくいと思います。
絵硝子に光射し込む水仙花 ほしくづ
「光射すステンドグラス水仙花」「水仙花ステンドグラスに日の射して」「教会のステンドグラス水仙花]など、展開して自分の一番言いたい事、こころ動かされた事を考えて俳句を作っていいくと良いと思います。
円覚寺のにらむ白龍冴返る 巨勢丸
これでも良いのですが、円覚寺と特定せず、天井の龍としたほうがににらまれている感じがでるとおもいます。また、冴返るの季語と龍がにらむが少し重なってしまいますので、別の季語を持ってきてはどうでしょうか。
小波に乗りて舟ゆく和布刈 孝雄
舟ゆくが説明っぽいので 「さざ波に揺るるる小舟や和布刈」「さざ波に小舟一艘和布刈」ぐらいでいいのではないでしょうか。
月明りなごし波もて群千鳥 孝雄
広辞苑で引いてもなごし波がわかりませんでした。
寒雀とまりて垂れる芒かな 昌人
雀がとまって芒のがしなっている様子でしょうか。「とまりて垂れると」が言い過ぎているようです。「一匹の雀にしなふ芒かな」と単純化した方が良いと思います。
揺れ動く河津桜の夢を見ん 昌人
風に揺れている桜の夢でしょうか、揺れ動くが余計な物を想像させてしまいます。鳥がゆらす桜とか満開の桜とかとすっきり詠むようにした方が解りやすいと思います。
鳴き声を引き摺るごとし都鳥 昌人
作者の眼目は「引き摺るごとし」なのでしょうが、読み手には「鳴き声を引き摺る」がよく理解出来ません。
人気なき岸に休むや鴨の群 青村
出来ている句なのですが、「人気なき岸」に工夫が欲しいところです。
冬の果て煎餅布団に縮こまる 青村
冬の果と煎餅布団と何か因果関係を感じさせてしまい、面白みにかけるところがあります。「寝酒して煎餅布団に縮こまる」ぐらいでしょうか。
マンションの廊下奥なる鬼の面 青村
廊下奥なるが 詰まった言い方でとても窮屈な感じです。普通に廊下の奥にと言ったほうがいいでしょう。俳句は短いので無理に言葉を詰め込みがちになりますが、決して良いことではありません。どうしても無理なら字余りしたほうがいいでしょう。「マンションの廊下の奥の鬼の面」
投句をしたら選句も忘れずに。
これは句会における最低のマナーですので、重ねてお願いいたします。 りつ