作句あれこれ③ 季語を修飾しない
手作りの茄子を炒めて昼餉かな
添削を頼まれた句です。
すでに気づかれていると思いますが、この句で要らないのは上五の「手づくりの」です。「朝市の茄子」でも「京の茄子」でも「裏畑の茄子」でも「茄子」の本質はまったく変わりません。季語である「茄子」は「茄子」といっただけで、誰もが怪しむことなく頭のなかに茄子の像を思い浮かべます。季語とはそういう共通認識なのです。それがゆえに、季語である「茄子」をいたずらに修飾しないことが大切です。季語は何の注釈も必要としないほどイメージの豊富な言葉であることを肝に銘じましょう。
掲出の句、「手づくりの」が不要となれば何に置き換えればいいのでしょう。色々あると思いますが一例を挙げておきます。
甘辛く茄子を炒めん昼の酒
(kinuta)