一句を読み解く171
「血のつきし鼻紙」までが客観である。客観のまま句をを終わらせるには、「血のつきし鼻紙捨つる枯野かな」くらいであろうか。ところが、許六は、あろうことか「鼻紙さむき」と自らの感覚、つまり主観を添えて一句とした。客観写生が俳句の真髄と考える先生なら即座に「鼻紙寒き」に異を唱えるのであろうが、この「鼻紙寒き」に味わいがあるところがまた問題である。「鼻紙寒き」といっているが別に鼻紙が寒がっているわけではない。寒いのは鼻をかんだ当事者で、その洟に血が混じっていたことに軽いショックを受けての寒さである。血のつきし鼻紙に己の寒さを託したいわば表現の高等戦術とも受け取れる俳句である。「鼻紙捨つる」も俳句なら、「鼻紙寒き」もまた俳句なのである。(m)