筍
今年は筍の当たり年だ。去年は地面に出た穂先を見つけては堀り、探しては堀りして、ほとんど家で消化してしまった。そのため、ご近所にも十分に差上げられなかった。栽培でもしていない限り、なり物には表年と裏年がある。
寒かった今年、心待ちにしていた筍ももう終りだ。調理して頂く度に「もう最後か」「これで終りか」と言いつつ随分長く楽しんだ。
若竹煮か筍ご飯が定番だが、嫁いだこの地に伝わる鰊との炊き合せは絶品だ。家によって入れるものに多少の違いはあるにせよ、筍と身欠鰊、油揚げは必ず入れる。そこに蒟蒻やじゃがいも、椎茸や蕨など、炊き合わせるものにより各家庭の味となる。筍を調理する事から始まり、乾燥した身欠鰊のアクを抜きゆっくりと戻す。鰊の皮が破れると見た目が悪いので丁寧にそっと扱う。それを油揚げと煮含めてゆく。そこにじゃがいもや蕨を入れるのだが、食材が違うため入れるタイミングも大切だ。けっして洗練された料理ではないが、鰊のアクと筍の本来もってるえぐみの総合作用で味に深みがでる。薄い味付けから本来の味付けにするのだが、一晩寝かすとさらに美味しい。身近にある素材を存分に生かしきった調理だ。
手間はかかるが、この手間暇かけた時間がご馳走で、それらを惜しんでは出来上がるものではない。人の手の及ばない時間が美味しくする、昔はこんな料理が多かった。子供の頃何かあると母は前の日の晩から下準備をして、当日は朝から忙しそうだった。今になってわかるのは、きっと時間という調味料をフルに使っていたのだろう。(立)