どちらも春の時候の季語で、ネット歳時記「きごさい」の解説によれば、麗かは「春の日がうるわしくなごやかに照って、よろずの物が輝くさま」を言い、長閑は「春の日ののんびりとしたさまを」言う、とある。二つの季語に共通しているのは「春の日」に関わった季語であると言うことだが、山本健吉の『基本季語五〇〇』(講談社学術文庫)によれば、二つの季語は、「同じ意味合いをもちながら、前者(麗か)は主として春の陽光(SUN)に、後者(長閑)は主として春の一日(DAY)の形容に言う。」ことらしい。そもそも、「春の日」という季語が、春の陽光(SUN)と春の一日(DAY)という二つの意味を持つ。麗かな春の日差し、長閑な春の一日、と区別して覚えて、この二つの季語をうまく使い分けたいものである。
では、麗かと長閑の俳句をいくつか。
うららかや業平塚はただの石 阿部みどり女
うららかにきのふはとほきむかしかな 久保田万太郎
うららかや女つれだつ嵯峨御室 正岡子規
うららかな犬の背中がそこにあり 石田郷子
うららかや海に入りたき川の魚 鷹羽狩行
大谷の底に村ある麗らかに 内田百間
うららかなけふのいのちを愛しけり 日野草城
うららかに木馬は回りきたりけり 唐振昌
銭なくてたもとふたつも長閑なり 一瓢
のどけしゃ津々浦々のおもはるゝ 白雄
長閑さや簀にはぢかるる海苔の音 大江丸
白魚のすこしまがりて長閑なり 成美
のどかさや大河を渡る蝶一つ 蒼狐
長閑さや山焼く煙山を這ひ 松本たかし
さびしさや撞けばのどかな鐘の音 矢島渚男
長閑なるものに張子の犬のかほ 長谷川櫂