妹のこと③_思い
妹の死を切出した時「実は私の主人も・・・」と友人が語りだした。癌にかかって病に向き合う日々の経緯を。亡くなる前に家まで買ってくれ、最後まで家族の事を考えていてくれたと。その淡々とした口調はやがて、言葉より感情のほうが勝り最後は言葉にならなかった。
辛いことはそう易々と、誰彼に話せるものではない。常識を持った人なら、悲しみはろ過し、狂おしいほどの感情は沈め、言葉に置き換えることのできる、理性をともなった感情をもって話す。そう考えるのが普通だが、悲しみにあった人はこの狂おしいほどの感情を言いたいのだ。不条理を怒り、悲しみ、大声で泣き叫びたいのだ、子供のように。
一見、冷静にしている人も、相手が同じ境涯だとわかると理性の扉は外され、沈殿していた感情が一気に湧き上がり、胸の奥の熱い思いを話し始める。そうすることにより、沈殿物の嵩も減ってゆくのかもしれない。
お釈迦さまは、我が子を亡くした母親がこの子を生き返らせて欲しいと願い出た時、「まだ、一度も死人を出したことのない家から芥子の実をひと粒もらって来なさい」と伝える。古代インドの大家族の中で死者を出さない家などあるはずもない。村々を歩き回った果て母親はやがて、我が子の死を受けいれることが出来るのだが、死は日常の裏側に少し身をかくしつつ確かに存在している。(立)
