お袋の味
「ちょっと違うんだよな、もう少しウスターソースの味が勝っていて・・・」
珍しくハンバーグが食べたいといったあの時のつれあいの言葉、結婚してすぐのころであったろうか。
「始めてお袋が作ってくれたあの時のあの味とはぜんぜん違うな」
「えーこっちの方が本格的だし美味しいはず」とわたし。
お互いのエネルギーがぶつかり合えば犬も食わない夫婦喧嘩だ。
年齢を重ねれば解るが、誰にでも子供の頃、始めて口にした食べ物に感激した覚えがある。中でも一番始末がわるいのはお袋の作ったもの。そこに楽しい思い出や懐かしい出来事が加わると、どんな調理人も太刀打ち出来ない。
英国に留学したモダニストの詩人西脇順三郎が、ふるさとの小千谷に戻り、最後に食べたいといったものが塩鱒だったそうな(事実は不明)。料理を呈する方にとっては「あの時の味」というやつほど厄介なものはない。同じ味は再現できたとしても、心弾む思い出や楽しい出来事までも再現は出来ない。賢明な男と女であれば、その辺りのマジックに気がつくはず。利口な男はそんな味を妻に求めない。
本格的に出汁をとったものはどんな料理でも美味しいものだ。それが味噌汁であれば冷めてもおいしい。げんに「冷し汁」なる夏の料理もある。
「遠い日のあの味」は、記憶の中で発酵している旨味がほどよく加わっている味かもしれない。(立)
