作句あれこれ10 焦点を絞るということ
カメラワークでもっとも大切なことの一つは、焦点を絞るということであろう。今のデジカメはカメラの方で勝手に焦点をあわせてくれるので、被写体にレンズを向けてシャッターを切ればおおよそはブレのない写真を撮ることができる。
俳句もデジカメのようであれば苦労はないが、こちらは自分で焦点を合わすしかない。撮りたい描きたいという一点を明確にするのが焦点を合わせるということ、そんなに難しいことではないようだが、写真と違って俳句は景色が存在しない場合もあるからややこしい。
旅人と我が名呼ばれん初時雨 芭蕉
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎
鯛焼や命なけれど温かく 長谷川櫂
景色が相手ならば焦点を結ぶということは容易にイメージできるが、景のないものにどう焦点をむすべばいいのか。答えは、言いたいこと伝えたいことを明確にするということであろうか。
芭蕉の「初時雨」の句は、「旅の人と呼ばれたいものだ」という願望が明確である。「湯豆腐」の句は、晩年を迎えた命のしみじみとした味わいが読み取れる。「鯛焼」の句は、あたたかな鯛焼きをいただくささやかな幸せが伝わってくる。
景色のある俳句にしても、景色のない俳句にしても、何を伝えたいのか、何が面白いのか、それを明確にさせることが大切なのである。
「俳意を確かに」これが焦点を結ぶということである。(kinuta)