いちじくをもぐ手を伝ふ雨雫 高浜虚子 大呂俳句会 投稿日:2019年10月9日 作成者: dvx223272019年10月9日 あるとき、スーパーに無花果が売られているのを見て驚いたことがある。それまで、無花果や柿、栗などは買って食べるものではないと思っていたからだ。無花果の木や柿の木は近所のどこにでもあって、貰って食べるのが普通であった。貰えなければ、盗み食いするまで。子ども時代からそんないい加減なところで暮していた。虚子の句、雨上がりだろうか、まだ雨がふっているのか。木からじかにもいで食べるところをみると、虚子にとっても無花果は買って食べる代物ではなさそうだ。(m)「季語 無花果(秋)」