まいまい句会感想 2月
ベンチ下きらつと光る霜柱 朝男
「ベンチ下」がいりません。場所の説明で終わっています。
にわか雪託児所をでる母と子に 朝男
「春の雪託児所をでる母と子に」
路地裏の朝の光や梅一輪 朝男
「路地裏の朝の光」では季語の「梅一輪」が生きて来ません。例えば「梅一輪」
を他の季語に置き換えてみるとわかると思いますが、花馬酔木、沈丁花、金縷梅
なんでもついてしまいます。季語を生かす工夫を。
節分や介護疲れを吹き飛ばす 泉太郎
「節分」は季節の変わり目の事をさす事項の季語です。本来立夏、立秋、立冬と年に四回あります。現在では立春の前日の節分だけが重要視されていますが、それは追儺、豆まき等の行事がこの日に行われるからでしょう。節分と豆まきを混同している方もいると思います。
「節分や介護疲れを吹き飛ばす」この句は察するところ豆まきの事を言っているのではないかと思うのですがもしそうでしたら、「豆打つて介護疲れを吹き飛ばす」とすべきではないでしょうか。
雪原に鉄路の読点一両車 政己
何か見立ての句のようですが意味が解りません
下萌えてねずみのトンネル迷路めく 政己
「下萌えやねずみのトンネル迷路めく」と「や」で切りましょう。
水鳥の帰心の声や余呉の海 政己
ここは「帰心の声を」と切らない方が良いと思います。
誰が厄を落として古りぬお六櫛 真紀子
櫛を落として厄を払う習わしがあるのでしょうか。俳句は多くの人にわかる事が大切です。
毘沙門の腿の太さや焼栄螺 真紀子
「焼き栄螺」の季語が離れすぎです。
当選の切手を使ふ二月かな 真紀子
当選の切手が少し乱暴な言い方ではないでしょうか。
「真田丸」終わりて入る柚子の風呂 梅花
報告で終わっています。
春うらら体内時計はリコール中 俊明
春が来たのに体内時計はまだ、春に追いついていないと言う事でしょうか。推測しなければ意味が解らない句は作らない方が良いと思います。
薄氷に爆音容赦なく射さる 春生
春生さんの句はいつも出来ているので余り触れませんが「爆音容赦なく射さる」
が少し特殊な景色のように思います。
春雨やはなれ瞽女行く親知らず 妻有
はなれ瞽女が寂しさを誘い、親知らずの地名が追い打ちをかけているようです。
春寒や鮭稚魚くだる信濃川 妻有
「くだる」が不要です。「春寒や川に放てる鮭の稚魚」
菅平雪のシュプール輝けり 恵三
菅平の地名を変えると同じ句がいくつもできます。また、青空やと置いても句になります。これは「シュプール輝けり」が当たり前だからです。
浅蜊掘るべか舟出し三番瀬 恵三
「べか舟」「三番瀬」専門用語でしょうか。広辞苑をひいても出ていませんでした。
凍返るダークマターの宇宙かな 恵三
ダークマター(暗黒物質)とありましたが、余り特殊な言葉を俳句で使うのは避けた方が良いと思います。
泰然と白銀まとふ二月富士 雅宏
泰然が不要です。
梅が香にひとときたくす茶席かな 雅宏
たくすが自分に引き付けすぎています。「一枝の梅の香れる茶室かな」くらいでさらっと言った方が良いと思います。
鍵盤に躍る指先春きざす ひろし
ひろしさんの句は形よくまとまっているのですが、どの句も少し平凡だと思います。もう少し言いたい事の表現を工夫するともっと良い句になるのではないでしょうか。
角巻きの老婆に遅れた香を聞く 一穂
「遅れに香を聞く」とはその人とすれ違った後お香が匂ったと言う事でしょうか
もし、それならシンプルに「角巻やすれ違うとき香を聞く」ぐらいにとどめ、老婆をとりましょう。老婆は人によい印象を与える言葉ではありません。俳句は愛でる事が大切です。
懐手する父嘘をつくときは 一穂
この句も「嘘をつく」が気になります。威厳を保つため言い訳めいた嘘だったのではないでしょうか。「言い訳をするとき父の懐手」ぐらいで良いのでは?
冬ざれて夕暮れの色無き故郷 一穂
「冬ざれ」「夕暮れ」「色なき」と寂しさの三重奏のようです。本当にそんな景色たどしても、もう少し表現の工夫が欲しいところです。暖かな季語を添えるという工夫もあります。
「夕暮れて色無き故郷根深汁」
風花す襷を替える走者かな 蘆高
「襷を替える走者」だけでは少し乱暴で駅伝の走者と言わないと意味は通じません。読者が想像するだろう、わかるだろうでは意味の通らない俳句になってしまいます。
着ぶくれて献血バスの和尚かな 葦高
「和尚かな」では少し言い方が硬いと思います少しユーモラスにして、「着ぶくれて献血バスの和尚さま」くらいに。
(りつ)
