上五、中五、下九と刻んで変則である。「青き踏む左右の子らと手をつなぎ」ととても便利に表現できるのに、なぜ言葉を不自由に使おうとするのだろうか。ここに立ち止まらなければ、私たちの俳句は一歩前に進むことはできない。言葉を不自由に使うことで、読みもいささか不自由になるのはあたりまえ、スローモーションの一こま一こまのように読み進むことになる。そのあたりにこの句味わいがあるのかもしれない。(m)
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羅に隠しきれざる五欲かな 山本恭子
「羅」といえば、涼しい、端正、清楚などの言葉が浮かんでくるが、句の「羅」はちょっと暑苦しい。五欲のなかでも「色欲」というところであろうか、「羅」という透けるような素材をうまく詠みこんだ技の一句というところ。(m)
*「隠しきれざる」は俳句に取り込める表現方法、覚えておきたいものです。
「朝霧の隠しきれざる」「万緑の隠しきれざる」「秋扇の隠しきれざる」「恋猫の隠しきれざる」「竹林に隠しきれざる」などなど。
青蘆の隠しきれざる夕日かな 松太
一句を読み解く 191
「一切経」は5000巻にも及ぶ経典で、中でも紺色の紙に金の文字で書かれたものが「金泥一切経」である。仏教全般を網羅した大変ありがたいお経ということになる。
掲句は、そのありがたい経典と「泥を食ふ蚯蚓」が天秤ばかりの上で吊り合っているかのようである。「泥を食ふ蚯蚓」の代わりに「飯を食ふ人間金泥一切経」でも「草を食ふ鹿の子金泥一切経」でもいいわけだが、「泥を食ふ蚯蚓」としがない命を描いたところにこの句の味わいがある。「泥を食ふ蚯蚓」と「金泥一切経」は暗喩で吊り合っているのだが、その吊り合いを支える天秤ばかりは「宇宙」という概念に他ならない。(m)
*長谷川櫂プライベートサイトより引用
一句を読み解く 190
顔入れて顔ずたずたや青芒 草間時彦
何のためにそんなところへ顔を入れたのか。俳句は字数の限られた文芸だけに、それをいちいち説明していては成り立たない。しかし、俳句の宿命で「何のために」という無言の問いかけは常に付いて廻る。したがって、「何のために」がさっぱりわからない俳句は、ひとりよがりの俳句として片付けられてしまうことになる。掲出の句は、草刈の場面などが想像できるが、誰しもが一度は経験しているようなこと、それゆえに「何のために」が省略できるのである。野球ボールを探しに青芒に分け入った、そんな子供のころが思い出された。(m)