見るほどは見つと沈みき沖膾 飴山實
平知盛が壇ノ浦で入水する際に残した言葉が、「見るべきほどのことをば見つ、今はただ自害せん」である。この世で見るべきほどのことは大方見つくしてしまった。もはやこの世に未練はない、ということであろう。飴山には他にも平家滅亡に想を得た句がいくつかあって、往時を偲ぶ思いが深い。句の沖膾、釣り上げた魚を舟で料理していただくというもの、海中深く眠る平家のたましいを供養せんがための料理のようでもある。(m)

平知盛が壇ノ浦で入水する際に残した言葉が、「見るべきほどのことをば見つ、今はただ自害せん」である。この世で見るべきほどのことは大方見つくしてしまった。もはやこの世に未練はない、ということであろう。飴山には他にも平家滅亡に想を得た句がいくつかあって、往時を偲ぶ思いが深い。句の沖膾、釣り上げた魚を舟で料理していただくというもの、海中深く眠る平家のたましいを供養せんがための料理のようでもある。(m)