まいまい句会感想
花冷えや背をはみだすランドセル くに
小学校に入ったばかりの一年生の姿が伝わって来る句だと思います。小さな背中いっぱいのランドセルとても愛くるしいですね。少しわかりにくい感じがあります。「背より大きランドセル」としてもう少し温かさを感じさせる季語をつけたほうが句が生き生きすると思います。
木の芽晴れ友の絵手紙はずみおり くに
「絵手紙がはずむ」の言い方に違和感があります。
次々に風に旅立つ花吹雪 いけさん
いただいた句ですが、これでは花吹雪の説明になってしまいますので「雪柳」などと置くと雪柳の花が風に散ってゆく様が想像できると思います。
沼日永亀の揃ひて甲羅干し しんい
「沼日永」この詰まった表現はいただけないと思います。また、単なる場所の説明でしかありません。
夜桜や月の明かりに踊り出す のほほん
踊り出しているのは誰が踊っているのかわかりません。
春の湖富士を見にゆく美術館 ひろし
「富士を見にゆく美術館」富士山の絵を見にゆくのでしょうか。それとも美術館から眺める富士が素晴らしいから、富士山を見に美術館へ行くのでしょうか。
すれ違ふ親子の会話チューリップ ほしくづ
「すれ違ふ親子の会話」「かみ合はぬ親子の会話」としたほうが解りやすいと思います
屋根赤き牧舎の池や花かんば 巨勢丸
屋根が赤い牧舎のほとりに池があるのでしょうか。「屋根赤き牧舎の池や」と読み下すと意味が解りません。牧舎の脇に池が有り其処に花かんばがあるなら「花かんば池のほとりの牧舎かな」となるのですが、5・7・5の中に自分で何を入れるか考えて、人に伝わるように作句してみて下さい。
谷地だもの樹間明るし水芭蕉 巨勢丸
水芭蕉の植生は乾いた土地ではなく、水分の多い土地を好み多くの場合水のほとりなどに生育するのもです。ですから、水芭蕉と言えば多くの俳人はこのような場所を頭の中において句を読みます。そのように考えると「谷地だも」が全く不要の言葉である事に気づくはずです。これは水芭蕉に限ったことではなく、「向日葵」と言えば、明るい、太陽、力強さ、健康的、など多くの人に共通する思いがあります。ここが季語の大切なポイントです。このように共通する「思い」や「感じ」は季語にまかせて自分では言わない事。例えば「谷地だも」をとるとするなら、「木々の間の日差し明るし水芭蕉」とか「木々の間を日差しの漏るる」とか言い方を考えて、自分の感じた事を句にするほうが大切ではないでしょうか。
山笑うひとりぼつちの滑り台 孝雄
点の入っている句ですが「ひとりぼつち」に少し作者の感情が入りすぎているようです。
日差し差す窓の内なる春の蠅 青村
蠅は夏の季語ですが、春にも見ることがあります。動きも鈍く夏の蠅のようなうっとうしさはまだ感じません。青村さんの句は三句とも形は出来ているのですが青村さんの感動が伝わってきません。この句も日差しのある窓に春の蠅がいますよと言っているだけです。春の蠅を見て何を感じたかそれを句にするように心がけて見ると良いと思いす。「日の当たる窓を動かず春の蠅」
穴に居る蛇を引き出し投句する 智絵
とても難解な句です、読むほうはこのまま読みくだします。穴に居る蛇を引き出して投句する、それがどういうことか解りません。
余生とは夫婦(めおと)は空気亀が鳴く 智絵
意味の解らない句です。世間でよく例えられる夫婦とは空気のような存在と言うことでしょうか。
親何処駅構内の雀の子 朝男
駅の中に雀の子が迷い込んだのでしょうか。まず、「親何処に駅構内の雀の子」として「に」をいれてリズムを整えましょう。さらに「親何処に」をとって「雀の子迷うて来たる駅の中」「ラッシュ時の駅構内に雀の子」などとしてこんな処に雀の子がいるというちょっと驚いた気持ちを句にされたら良いと思います。
