画家Tさんからの手紙

古い手紙を整理していたら、画家のTさんに猫を譲った時のものが出てきた。せっかく頂いたのに、交通事故でなくなってしまったという詫び状で、今まで飼った猫達と同様庭に埋葬したというものだった。冥界入りした新参者の猫を思いやる気持ちが伝わってくる内容で、折にふれ時にふれ庭を見ては心を寄せるTさん、亡くなった猫たちも幸せだろうと思った。このTさん自信も猫たちの傍で過ごすことが出来て幸せなはずだ。
今、原発でふるさとを追われた人々は生まれ育った地を離れ、先祖の墓に手を合わすことも出来ない。馴染んだ地を離れるという事は、今まで築いてきた時間を奪われる事だ。目前にありながら踏み入る事の出来ないふるさと。被災した人が言っていた。「福島の風土が自分を育ててくれた、風土とは風と土です。他の土地をもらってもそれは違う」と。そして「育った家はただ広く寒い家だった、雪が降れば戸の隙間から雪が吹き込むそんな家だった。でも戻りたい」と。
先日越した家には、沢山の樹木が植えられていて、この木々を育てた老婦人は山椒の脇にでた、小さな苗木を引き抜き新しい住まいに持って行った。木々とともに育てた多くの思い出を置いてゆかざるを得ない気持ちが、ずっと此処に住みたかったという言葉に表れていた。
一年前、連続して飼い猫を亡くした。離婚して住み慣れた家を離れるに当たり、奉書紙に包んでそれらの骨を粉々にして撒いた。彼らと走り回った裏山に、中庭に、池の傍に畑に。この季節にはどの場所が好みか、この時間にはどの辺りに居るか考えられる全ての場所に少しづつ撒いた。その家では何匹もの犬や猫を飼った。皆、庭に埋められ仲良く過ごしているに違いない。ただ彼らに申し訳ないのは先のTさんのように、今は傍で過ごしてやれないことだ。柱についている爪の傷跡も、得意気になって駆け登った梅の木も今は思い出の中にしかない。
