
夏は冷し酒、冬は熱燗、ならば秋は温め酒、と思ったら間違いである。温め酒は、「冷し酒」や「熱燗」とは同列に置けない季語である。陰暦の九月九日に酒を温めて飲むと病気にかからないとされる重陽の日の行事の一つで、菖蒲湯や茅の輪くぐり、冬至南瓜、お屠蘇などと同様、健康を願う儀式として詠まなければならない。これが「温め酒」という季語の本意。酒というと、くだけた感じがつきまとうものだが、この「温め酒」に関しては、袴裃を身に着けた折り目正しい季語ということになる。
とはいっても、この日(陰暦九月九日)を境に酒は温めるべし、という教えもあって、生活の嗜好とも密接に結びついていることも間違いない。本意をしっかりと踏まえた上でなら、生活に結びついた季語として詠むのもまた面白いともいえる。
あたためる酒間遠しく又楽し 嘯山
またされることもまた楽しい。
悦びにをののく老の温め酒 高浜虚子
こちらは、いささかアル中気味か。
大祖母やひとりで酒を温むる 中田みづほ
米寿を過ぎてのたしなみだろうか。
白玉の歯のゆるみたる温め酒 清水基吉
歯の衰えが気になる温め酒。
温め酒自重せよてふ友のこゑ 渡辺文雄
こちらは、季語の本意に叶った温め酒。
ぬくもりのあるかなきかに温め酒 長谷川櫂
人肌よりもまだほのか。
あげた例句を見ると、どちらかといえば、儀式としてよりも生活としての「温め酒」が色濃く出ているようである。(m)

辛夷が咲くころは寒さが戻ってくる頃でもある。(m)「季語 辛夷(春)」
もともとは草木が冬になって葉を落とし、その精気が地中深くもぐることを意味する季語であった。それが、人の生活に転化され、寒風や雪によって活動の自由を奪われた人が家に閉じこもることを意味する季語になった。例句をみても、草木の冬籠を詠んでいる句は見当たらない。外部との接触が少ないながらも、そこに静かな喜びを見出しているような句が面白いだろうか。芭蕉の「折々に」の句や松本たかし の「夢に舞ふ」などの句は、その意にかなっている句といえよう。いずれにしても、春を待つ心がこの季語の本意である。(m)



