ぎんなんをむいてひすいをたなごころ | 森澄雄 |
秋刀魚焼く煙りの中の妻を見に | 山口誓子 |
新蕎麦や熊野へつづく吉野山 | 許六 |
美しき栗鼠の歯形や一つ栗 | 前田普羅 |
菊なます鍋島は藍佳かりけり | 草間時彦 |
黒きまで紫深き葡萄かな | 正岡子規 |
日々水に映りていろのきたる柿 | 宇佐美魚目 |
ほつこりとはぜてめでたしふかし芋 | 富安風生 |
梨むくや甘き雫の刃を垂るゝ | 正岡子規 |
星空ヘ店より林檎あふれをり | 橋本多佳子 |
一句目、ぎんなんは皮を除き火を通すと透明感を増し、まさに翡翠のような美しい緑になる。焼いて塩をまぶせばむっちりとして、酒の肴に最適。ぽつりぽつりと薄皮をむいては盃を口に運ぶ。その絶妙の間がご馳走だ。
二句目、焼き魚に煙りは付きもの。ことに脂ののった魚は煙りが立ちやすい。煙の中といっただけで秋刀魚の美味しさが十分に伝わってくる。今では見られないと思うが、たぶん七輪でも持ち出して外で焼いているのだろう。食卓は全て用意が整いあとは焼きたての秋刀魚を待つばかりだ。
三句目、昔は米を作るには向かない荒地に蕎麦を栽培した。吉野から熊野は山が迫り、稲作の出来る土地は少ない。その山の荒地を耕して僅かばかりの畑に蕎麦をまく。得てして作物は山手で栽培した方が収穫率は低いが美味しいようだ。朝晩の山の冷気が上手い蕎麦を育てる。
四句目、栗鼠の歯形が美しいと言っただけで、美味しそうな栗を連想させるのが俳句の力だ。せっかく美味しい栗にありついたのに人間に邪魔され、栗を捨てて逃げたのだろか。人も動物も共存している豊かな山里、栗がまずい訳がない。
五句目、菊は色も歯ざわりも大切。鍋島の藍と言ったことによって菊の色がサッと頭をよぎる。もうそれだけで菊膾が美味しそうに感じられる。
六句目、西瓜や栗などと比べると葡萄には何か静けさを感じる。「紫深き」という措辞に手のひらに余る程のずっしりとした、巨峰の一房が目に浮かぶ。さながら秋そのものが静かに深まって行くようだ。
七句目、柿には青空が良く似合う。灯しのように時雨のなか枝に残った柿も風情があるが、食欲をそそるのはからりとした青空にある柿だろう。空は水に映り、水は青々と空を映す、青一色となった世界のなか柿ぐんぐんと色付く。
八句目、焼芋は焼くことによって水分が蒸発しほっくりと仕上がるが、ふかし芋はよほど芋を吟味しないとこのようにはならない。「めでたし」が芋の旨さを十分に引き出している。
九句目、難しい解釈など無用。これぞ梨。
最後、林檎は、聖書に童話にとよく登場する。この林檎、店先の明りを受けてまぶしいほどだ。空には星が輝き、店先には赤々とした林檎が並べられている。絵本のなかのくだもの屋さんのようだ。その味はどんなだろう。 (立)