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カテゴリーアーカイブ: 作句あれこれ

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推敲ということ

大呂俳句会 投稿日:2015年2月19日 作成者: dvx223272015年2月19日

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 推敲は言葉を差し替えて、詩文をより分かりやすくする作業ですが、この際「差し替える」などという悠長なことは言わずに、推敲は「言葉」を惜しみなく捨てる作業と考えてみましょう。とりあえず不要な言葉を捨てる。捨てる言葉の見極めが難しいのですが、それができれば、推敲作業の80パーセントは終わっているはずです。捨てれば当然俳句の字数が足りなくなるのですが、そんなものは字数が足りないままにほったらかしておけばそのうち何とかなるものです。とにかく捨てる、そのコツを身につけることが大切です。 それでは何をどう捨てるのか、今回の「まいまい句会」の句からいくつか言葉を捨てる作業を試してみましょう。捨てる言葉を俳句の脇にかぎ括弧で示してみます。

カフェに曲少しとだえて風花す 「少し」→カフェに曲とだえて風花す
風やめば色が見えたり風車 「たり」→風やめば色が見え風車
つくばひのへりに一杓春の雪 「のへり」→つくばひに一杓春の雪 
囀りの出迎え受ける寺参り 「の出迎え」→囀り受ける寺参り
大寒の骨ぎしぎしと起き上がる 「起き上がる」→大寒の骨ぎしぎしと
冬晴れをひと日賜る越後かな 「ひと日」→冬晴れを賜る越後かな
握られて光透けゐるさよりかな 「握られて」→光透けゐるさよりかな
けふからは春の鳥なり庭に来て 「なり」→けふからは春の鳥庭に来て
青き草流れてくるや雪解川 「来るや」→青き草流れて雪解川
根に花に陽ざしたつぷり風信子 「根に花に」→陽ざしたつぷり風信子
早朝の魚版の音の余寒かな 「早朝」→魚版の音の余寒かな
つんつんと尖る梢の冬芽かな 「梢の」→つんつん尖る冬芽かな
寒明けの杭の頭の新しき 「頭の」→寒明けの杭新しき
洋館の鎧戸開くる春隣 「洋館の」→鎧戸開くる春隣

 かぎ括弧の言葉がなくてもたいして意味に違いはありません。いい言葉があれば言葉を差し込み、見つからなければ「句を玉と暖めてをる炬燵かな 高浜虚子」くらいの気分でいいのです。今年はどんどん言葉を捨ててみてください。(m)

作句あれこれ10 焦点を絞るということ

大呂俳句会 投稿日:2012年12月5日 作成者: dvx223272012年12月5日

 カメラワークでもっとも大切なことの一つは、焦点を絞るということであろう。今のデジカメはカメラの方で勝手に焦点をあわせてくれるので、被写体にレンズを向けてシャッターを切ればおおよそはブレのない写真を撮ることができる。
 俳句もデジカメのようであれば苦労はないが、こちらは自分で焦点を合わすしかない。撮りたい描きたいという一点を明確にするのが焦点を合わせるということ、そんなに難しいことではないようだが、写真と違って俳句は景色が存在しない場合もあるからややこしい。

 旅人と我が名呼ばれん初時雨  芭蕉
 湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎
 鯛焼や命なけれど温かく  長谷川櫂

 景色が相手ならば焦点を結ぶということは容易にイメージできるが、景のないものにどう焦点をむすべばいいのか。答えは、言いたいこと伝えたいことを明確にするということであろうか。
 芭蕉の「初時雨」の句は、「旅の人と呼ばれたいものだ」という願望が明確である。「湯豆腐」の句は、晩年を迎えた命のしみじみとした味わいが読み取れる。「鯛焼」の句は、あたたかな鯛焼きをいただくささやかな幸せが伝わってくる。
 景色のある俳句にしても、景色のない俳句にしても、何を伝えたいのか、何が面白いのか、それを明確にさせることが大切なのである。
 「俳意を確かに」これが焦点を結ぶということである。(kinuta)

作句あれこれ⑨ 報告といわれる句

大呂俳句会 投稿日:2012年9月10日 作成者: dvx223272012年9月10日

 見たこと、聞いたこと、感じたことをそのままストレートに描写すればいいのですが、それらの事象をいったん自分の記憶に納めておいてから、「見ました」「聞きました」「感じました」というふうな句が報告の句ということになります。分かりにくいので、具体的な例を上げてみましょう。
 手元にある『虚子五句集』から、虚子の句をいくつか報告の句に変えてみましょう。

 やり羽子や油のやうな京言葉―→やり羽子や油のやうな言葉聞く
 はなやぎて月の面にかかる雲―→はなやぎて月にかかれる雲を見る
 石ころも露けきものの一つかな―→石ころも露けきものと思ひゐる
 高々と枯れ了せたる芒かな―→高々と枯れ了せたる芒見る
 斯く迄に囁くものか春の水―→斯く迄に囁く春の水を聞く

 報告の俳句がなんとなく理解できたと思います。
 おおまかにいえば「○○しましたよ」と人に教えるのが報告です。「ものすごくいい景色だったよ」と聞かされても誰も感動はしません。感動はより直接的に表現する必要があります。
 しつこく言い寄らず、ぽんと突き放すように作るくらいがいいのかもしれません。(kinuta)

作句あれこれ⑧ 逆境の俳句

大呂俳句会 投稿日:2012年8月29日 作成者: dvx223272012年8月29日

 俳句は自然賛歌人間賛歌の文芸ですが、人間賛歌の俳句のなかには人の生き様を讃えるにとどまらず、人を励まし、人に勇気を与える俳句も数多くあります。昨年の三月十一日に東日本を襲った大震災の被災者への励ましの俳句などはそのいい例でしょう。

 桜貝残されしもの未来のみ
 いくたびも揺るる大地に田植かな
 幾万の声なき声や雲の峰       長谷川櫂『震災句集』

 例に引いた俳句は、第三者が災難に見舞われた当事者を思いやって詠んだものですが、当事者自身が、逆境に置かれた自らを客観視して詠むということも、読者に大きな勇気と感動を与えるものです。しかし、災いの渦中にある自分を客観視するのは容易なことではありません。普通ならば動揺が先になってしまって、「俳句どころではない」というのが一般的だからです。俳人の多くはずっと以前から、この容易ならざる局面に背をむけることなく、俳句を詠んできました。そのいい例が「病床俳句」です。

 旅に病んで夢は枯野をかけめぐる 芭蕉
 糸瓜咲て痰のつまりし仏かな 正岡子規
 百舌ひゞく脂ほとほと失せし身に 相馬遷子

 みな、死を間近にした人の俳句ですが、そこに絶叫や悲嘆はありません。むしろ、冷徹なほど己を客観視しているといってもいいでしょう。死に直面したとき、まったく俳句が詠めなくなる人もいれば、最期の最期までうろたえることなく詠み続ける人もいます。どちらがいいというのではなく、俳句は、人によっては、死の淵まで付き合いざるを得ない文芸ということができるかもしれません。言葉を変えて言えば、いったんその人に取り憑いてしまうと、俳句のほうがその人を死の淵まで離さない、もしかしたら、あの世までも付き纏うのが俳句、といえるのかもしれません。小説や詩と違って、短いということが俳句特有のこうした業を可能にしているのでしょう。先ごろお亡くなりになられた短歌の河野裕子さんも死の間際まで詠まれたようですが、その数は俳人のほうが圧倒的に多いはずです。自然賛歌、人間賛歌の文芸である一方、人の死をとことん見てやろうという、凄まじい業の文芸が俳句でもあります。業と付き合うも良し、その辺をさらりとかわして気楽に楽しめるのもまた俳句なのです。(kinuta)

作句あれこれ⑦ 切字「けり」を使おう

大呂俳句会 投稿日:2012年8月19日 作成者: dvx223272012年8月19日

 「切る」という意思があれば、四十八文字すべてが切字になると芭蕉は言っています。とはいっても「いろはにほへと—」のどれがどう切れに関わるのかというのも初心者には理解しがたい話、やはり代表的な切字「や」「かな」「けり」をしっかり使えるようにしておきたいものです。そのなかでも、「けり」は一番使いにくい切字のようです。切字「や」を使った俳句や切字「かな」を使った俳句にくらべて、例句が少ないことでもそれがわかります。
 助動詞「けり」は「過去」と「詠嘆」「発見」を表しますが、俳句の切字としての「けり」は、詠嘆・発見の「けり」と考えていいでしょう。「何々だなあ、何々であることよ」という意味になります。
 例句をいくつかあげてみましょう。

 桐一葉日当りながら落ちにけり  高浜虚子
 掌に葡萄を置いて別れけり  前田普羅
 くろがねの秋の風鈴鳴りにけり  飯田蛇笏
 暁の蜩四方に起こりけり  原石鼎
 神田川祭の中をながれけり  久保田万太郎
 東山回して鉾を回しけり  後藤比奈夫

 一物仕立てのわかりやすい句ばかりです。

 桐の葉が日を浴びながら落ちた
 てのひらに葡萄をのせて別れた
 鉄の風鈴が秋風に鳴った
 明け方、ひぐらしが四方から鳴きだした
 神田川が神田祭の町を流れた
 東山を回すように鉾を回した

 「けり」をとって、普通の散文にしても俳句の形とそう大差はないように見えます。意味的には大差はないのですが、しかし、「けり」があるとないとではその詩情に大きな隔たりがあります。してみると、切字「けり」の力は、普通の散文であっても、俳句に昇華させる力があるのかも知れません。
 この欄の何日か前のエッセイに「蚊帳」(智子記)というものがありました。その中の散文を切り取って「けり」を添えてみましょう。

祖母が蚊帳を用意し始めると、わくわくしたものだ。青い大きな蚊帳は海のようで、広げるそばから飛び込んでは祖母に叱られた。弟と二人、吊るした蚊帳へ海底の洞窟を探検する気分で入った。蚊帳の中は深い海のようで、電気の紐がゆらゆらと昆布のように揺れている。いやあれは水母だなどと探検気分に浸っているうちにいつの間にか眠っていた。そんな日は何故だかぐっすりと眠れた。翌朝は、畳んだ蚊帳で弟を簀巻きにし転がして遊んでいると、また祖母に叱られた。大人になり「蚊帳は花嫁道具になるくらい大事なものだった」ということを祖母から聞いた。わずかばかりの借地で麻を作りそれを糸にする。それは経験した者でないとわからない大変な作業で、紡いだ糸をさらに蚊帳に編んでゆく。昔は家事・炊事・畑仕事の傍ら夜なべをして何年もかけて仕上げたそうだ。だから火事があると、一目散に蚊帳を持って逃げるのだと。当時の蚊帳は無くなって久しい。何も知らずに無邪気に遊んでいた子供の頃を思うと祖母に申し訳ないような気分になる。蚊帳も含め多くの物は失くしてから大事なものだと気付くようだ。(智子)

 祖母が蚊帳を用意し始めると、わくわくしたものだ。___子供らにうれしき蚊帳を広げけり
 青い大きな蚊帳は海のようで___蚊帳吊つて海の世界となりにけり
 吊るした蚊帳へ海底の洞窟を探検する気分で入った___探検の気分で蚊帳に入りにけり
 電気の紐がゆらゆらと昆布のように揺れている___蚊帳の上電気の紐の揺れにけり
 畳んだ蚊帳で弟を簀巻きにし___弟を蚊帳で簀巻きにしたりけり
 蚊帳は花嫁道具になるくらい大事なもの___青蚊帳を花嫁道具としたりけり
 夜なべをして何年もかけて仕上げたそうだ___夜なべしてこつこつ蚊帳を編みにけり
 火事があると、一目散に蚊帳を持って逃げる___すは火事と青蚊帳持つて逃げにけり

 俳句の体をなしていないものもありますが、切字「けり」は普通の散文に何らかの詩情を与える力があるようです。
 切字「けり」は切字「や」や切字「かな」よりも強い切れを生じさせます。平易な文章でも、この「けり」を添えることで見違えるほどの俳句に化けるかもしれません。

 石にのり秋の蜥蜴となりにけり  飴山實
 菜雑炊ふたり暮らしとなりにけり  田村恒人
 蔓垂れて秋の泉となりにけり  河村蓉子
(kinuta)

作句あれこれ⑥ おいしそうに詠む

大呂俳句会 投稿日:2012年8月13日 作成者: dvx223272012年8月13日

 食べ物の俳句はおいしそうに詠む。これが大切です。俳句は自然讃歌、人間讃歌の文芸です。食べ物をおいしそうに詠むというのは、自然讃歌、人間讃歌に添う心ともいえます。「美しき緑走れり夏料理  星野立子 」などは、「おいしそうに詠む」の典型ともいえる一句です。「緑走れリ」という描写に「夏料理」を讃える思いが込められているのです。
  どうすれば、おいしそうに詠めるのか。食べ物を讃える心を忘れない、これが一番です。「食べる」ということは、「おいしそう」というプラスの側面を持つ一方で、「まずそう」「だらしない食べ方」というマイナスの側面もときおり見せます。プラスの側面だけを詠めばいいのですが、人間はおかしなもので、わざわざマイナスの側面を詠んだりします。「惚けたる父に食べさす秋刀魚かな」「鮒鮨や鬱々と雨降りつづく」などはそのいい例でしょう。

 では、おいしそうな句をいくつか。

 火とともに運ばれて来し泥鰌鍋  岩井善子
  火の勢いが、そのまま泥鰌鍋のおいしさです。

 くみおきて水に木の香や心太  高田正子
  食感が命の心太、木の香りが引き立てます。「木の芽和」のような香りを楽しむものなら「木の香」は料理を殺します。

 梨むくや甘き雫の刃を垂るる  正岡子規
  水分たつぷりの梨。

 さくら餅うちかさなりてふくよかに 日野草城
  「ふくよかに」がさくら餅のおいしさ。

 伽羅蕗の滅法辛き御寺かな  川端茅舎
  「滅法辛き」、この大げさな描写が伽羅蕗を引き立てます。

 生きながら焼かるる蟹や松落葉  長谷川櫂
  焼蟹の匂いが、松風に運ばれてくるようです。

(kinuta)

作句あれこれ⑤ とにかく作る。

大呂俳句会 投稿日:2012年8月9日 作成者: dvx223272012年8月9日

 俳句がほかの文芸とくらべて参加しやすい文芸であることは、俳句人口が他のジャンルとくらべて圧倒的に多いことでも分かります。参加しやすい要因の一つに短さがあります。俳句の大切な約束事は有季(俳句に季語を入れること)と定型ですが、五七五の定型は合計してもわずか十七文字にしかなりません。はじめて俳句を作ろうという人でも、単語を三つ四つ並べて助詞で調べを整えれば何とか格好がつきます。
 どんな習い事でもそうですが、入門を決めたら、まず、先輩の技を真似る、先輩の技を盗む、これが大切です。俳句も同様ですが、俳句がほかと違うのは、まずやってみろ、まず作ってみろ、そう言えることです。他の習い事では、「作るなんて十年早い」と叱られてしまいますが、俳句は「作ってみろ」が第一歩、その作った句が句会ではベテランの句に混じって評価もされるわけですから、とても習いやすい文芸といえます。俳句をやろうと決めたら、入門書を読む前にまず作る、これが大切です。(kinuta)

作句あれこれ④ 常識を詠まない

大呂俳句会 投稿日:2012年8月4日 作成者: dvx223272012年8月4日

 湯上りの団扇の風にやすらへる

 この句は「湯上りの団扇の風」が常識です。
 「団扇」という季語から惹起される言葉をいくつか考えて見ましょう。「団扇」といえばやはり「祭」でしょうか。「浴衣」「涼み」「縁台」なども「団扇」と切っても切れない言葉、変わったところで「うなぎ屋」なども思い浮かびます。
 「団扇」という季語によって連想されるこれらの言葉が「団扇」と対を組んだとき、そこに生まれるのが常識です。掲出の句の「湯上り」もまた「団扇」の親類のような言葉です。「湯上りの団扇の風」では俳句の世界が常識の範囲で完結してしまい、広さも深さも生まれません。
 「湯上り」と「団扇」のコンビが俳句にとってよくないとすれば何を持ってくるのか。そこで頭を働かせるのが実は俳句の醍醐味でもあります。
 色々考えられるでしょうが、添削例を一つあげておきます。

 暗がりで団扇の風にやすらへる

作句あれこれ③ 季語を修飾しない

大呂俳句会 投稿日:2012年7月31日 作成者: dvx223272012年7月31日

 手作りの茄子を炒めて昼餉かな

 添削を頼まれた句です。
 すでに気づかれていると思いますが、この句で要らないのは上五の「手づくりの」です。「朝市の茄子」でも「京の茄子」でも「裏畑の茄子」でも「茄子」の本質はまったく変わりません。季語である「茄子」は「茄子」といっただけで、誰もが怪しむことなく頭のなかに茄子の像を思い浮かべます。季語とはそういう共通認識なのです。それがゆえに、季語である「茄子」をいたずらに修飾しないことが大切です。季語は何の注釈も必要としないほどイメージの豊富な言葉であることを肝に銘じましょう。
 掲出の句、「手づくりの」が不要となれば何に置き換えればいいのでしょう。色々あると思いますが一例を挙げておきます。

 甘辛く茄子を炒めん昼の酒
 
(kinuta)

作句あれこれ② 因果関係・理屈を詠まない

大呂俳句会 投稿日:2012年7月26日 作成者: dvx223272012年7月26日

 因果関係が成立している俳句は、理屈の俳句です。いくつか例を挙げてみましょう。

 梅雨晴間だから布団干す → 布団干す梅雨の晴間だ今のうち
 汗をかいたから行水をする。 → 行水や牛馬のごとく働いて
 雨が降るから紫陽花が生き生きする → 紫陽花の色を深めて今朝の雨
 雨が降ってきたので洗濯物を取り込む → 夕立や洗濯物を取り込んで
 廃屋なので草が茂る → 人棲まぬ家なり夏草荒れ狂ふ
 

 因果関係に頼ると、たやすく句ができるものです。しかし、1+1=2という数式以上のものは望めません。余韻のある句は1+1が5にも10にもなります。
 前出の例句、季語を変えてみましょう。

 布団干す梅雨の晴間だ今のうち → そこはかと梔子の香や布団干す
 行水や牛馬のごとく働いて → 星涼し牛馬のごとく働いて
 紫陽花の色を深めて今朝の雨 → 梅の実に色がきてをリ今朝の雨
 夕立や洗濯物を取り込んで → 夕虹や洗濯物を取り込んで
 人棲まぬ家なり夏草荒れ狂う → 人棲まぬ家風鈴の鳴りひびく

 俳句は理屈で詠まない、難しいかもしれませんがぜひ身につけておきたい基本です。(kinuta)

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