作句あれこれ⑦ 切字「けり」を使おう
「切る」という意思があれば、四十八文字すべてが切字になると芭蕉は言っています。とはいっても「いろはにほへと—」のどれがどう切れに関わるのかというのも初心者には理解しがたい話、やはり代表的な切字「や」「かな」「けり」をしっかり使えるようにしておきたいものです。そのなかでも、「けり」は一番使いにくい切字のようです。切字「や」を使った俳句や切字「かな」を使った俳句にくらべて、例句が少ないことでもそれがわかります。
助動詞「けり」は「過去」と「詠嘆」「発見」を表しますが、俳句の切字としての「けり」は、詠嘆・発見の「けり」と考えていいでしょう。「何々だなあ、何々であることよ」という意味になります。
例句をいくつかあげてみましょう。
桐一葉日当りながら落ちにけり 高浜虚子
掌に葡萄を置いて別れけり 前田普羅
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 飯田蛇笏
暁の蜩四方に起こりけり 原石鼎
神田川祭の中をながれけり 久保田万太郎
東山回して鉾を回しけり 後藤比奈夫
一物仕立てのわかりやすい句ばかりです。
桐の葉が日を浴びながら落ちた
てのひらに葡萄をのせて別れた
鉄の風鈴が秋風に鳴った
明け方、ひぐらしが四方から鳴きだした
神田川が神田祭の町を流れた
東山を回すように鉾を回した
「けり」をとって、普通の散文にしても俳句の形とそう大差はないように見えます。意味的には大差はないのですが、しかし、「けり」があるとないとではその詩情に大きな隔たりがあります。してみると、切字「けり」の力は、普通の散文であっても、俳句に昇華させる力があるのかも知れません。
この欄の何日か前のエッセイに「蚊帳」(智子記)というものがありました。その中の散文を切り取って「けり」を添えてみましょう。
祖母が蚊帳を用意し始めると、わくわくしたものだ。青い大きな蚊帳は海のようで、広げるそばから飛び込んでは祖母に叱られた。弟と二人、吊るした蚊帳へ海底の洞窟を探検する気分で入った。蚊帳の中は深い海のようで、電気の紐がゆらゆらと昆布のように揺れている。いやあれは水母だなどと探検気分に浸っているうちにいつの間にか眠っていた。そんな日は何故だかぐっすりと眠れた。翌朝は、畳んだ蚊帳で弟を簀巻きにし転がして遊んでいると、また祖母に叱られた。大人になり「蚊帳は花嫁道具になるくらい大事なものだった」ということを祖母から聞いた。わずかばかりの借地で麻を作りそれを糸にする。それは経験した者でないとわからない大変な作業で、紡いだ糸をさらに蚊帳に編んでゆく。昔は家事・炊事・畑仕事の傍ら夜なべをして何年もかけて仕上げたそうだ。だから火事があると、一目散に蚊帳を持って逃げるのだと。当時の蚊帳は無くなって久しい。何も知らずに無邪気に遊んでいた子供の頃を思うと祖母に申し訳ないような気分になる。蚊帳も含め多くの物は失くしてから大事なものだと気付くようだ。(智子)
祖母が蚊帳を用意し始めると、わくわくしたものだ。___子供らにうれしき蚊帳を広げけり
青い大きな蚊帳は海のようで___蚊帳吊つて海の世界となりにけり
吊るした蚊帳へ海底の洞窟を探検する気分で入った___探検の気分で蚊帳に入りにけり
電気の紐がゆらゆらと昆布のように揺れている___蚊帳の上電気の紐の揺れにけり
畳んだ蚊帳で弟を簀巻きにし___弟を蚊帳で簀巻きにしたりけり
蚊帳は花嫁道具になるくらい大事なもの___青蚊帳を花嫁道具としたりけり
夜なべをして何年もかけて仕上げたそうだ___夜なべしてこつこつ蚊帳を編みにけり
火事があると、一目散に蚊帳を持って逃げる___すは火事と青蚊帳持つて逃げにけり
俳句の体をなしていないものもありますが、切字「けり」は普通の散文に何らかの詩情を与える力があるようです。
切字「けり」は切字「や」や切字「かな」よりも強い切れを生じさせます。平易な文章でも、この「けり」を添えることで見違えるほどの俳句に化けるかもしれません。
石にのり秋の蜥蜴となりにけり 飴山實
菜雑炊ふたり暮らしとなりにけり 田村恒人
蔓垂れて秋の泉となりにけり 河村蓉子
(kinuta)